買取品詳細
ジャンル
骨董品、茶道具、陶磁器、書画、古道具、書道具、漆器、火鉢
買取方法 出張買取
お住まい 京都市上京区
最寄り駅 今出川駅
スタッフからのコメント
上京区にお住まいのお客様から、ご連絡をいただきまして、たくさんの骨董品・古道具についての出張買取のお申し込みを承りました。お電話にてお話を伺ったところ、「家を解体することになり、家の中身の物を片付け作業中で、様々な品物が多数あります。買取可能なものは、査定のうえでお引き取りいただければと思います。」とのことでした。
お約束の日時に、左京区のお客様宅を訪問しまして、査定・買取をご希望の品々を拝見いたしました。お客様がお話された通り、品々は多岐にわたり、お客様のご家族がご趣味で集められたものや、先祖代々伝わるものなども含まれているとのことでした。
その後、お客様からお時間をいただき、丁寧に査定作業を行わせていただきました。お品物につきましては、細部に至るまでお調べし、由緒や品質についても十分に確認いたします。また、陶磁器などの焼物については、素材や作者名だけではなく、共箱や鑑定書の有無についても丁寧に確認いたします。
査定が完了し、お客様に買取金額をお伝えすると快諾をいただき、ご希望された商品を全て買取させていただきました。お客様が大切にされてきたお品に対して、ご満足いただける金額を提示することができたことで大変うれしい買取となりました。
そんな今回の骨董品買取の中から、ご紹介したいお品は「九谷焼・古九谷」です。
日本の代表的な色絵陶磁器である九谷焼は、華やかでありながらも力強い魅力を持ち、柿右衛門、仁清、色鍋島と共に日本の色絵磁器の一角を占めています。九谷焼には「九谷」と「古九谷」の2つの種類があります。
九谷焼の歴史は、1655年に有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、加賀藩の命令により九谷村で開窯したことが始まりとされます。この地で陶石が発見されたことに注目した大聖寺藩の初代藩主、前田利治によって開窯がなされたとされています。 ところが、開窯から50年程度が経過した1700年代の初め頃、九谷窯は突然閉鎖されます。閉鎖の理由は明確にはわかっていませんが、この50年の間に焼かれたものが「古九谷」と呼ばれるようになりました。
そして1807年、加賀藩は青木木米を京都から招き、金沢の春日山にて窯を再び開き、新しい窯が九谷地域で開窯されるようになります。この影響を受け、大聖寺藩は再び九谷焼を興しようとしていました。 その後、九谷焼は再興し、明治時代には九谷焼が海外でも高く評価されるようになり、日本の代表的な色絵磁器としての座をほしいままにしました。
九谷焼の、その最大の魅力は「上絵付け」という技法にあります。 上絵付けとは、陶磁器の本焼き後に釉薬の上に紋様を描き、再度焼成する技法であり、九谷焼や有田焼などの陶磁器で使用されています。上絵付けの特徴は、美しく鮮やかな色彩を活かした五彩手の絵模様に表れ、豪華絢爛な色絵装飾が魅力的です。興味を持たれた方はぜひ鑑賞されてみてはいかがでしょうか。
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