買取品詳細
ジャンル
日本文学、日本史、書道、事典、全集、学術文庫、美術書
買取方法 出張買取
お住まい 大阪府高槻市
最寄り駅 JR高槻駅
スタッフからのコメント
大阪府高槻市在住のお客様から、古書・古本の出張買取に関するお問い合わせを受け、伺うことになりました。 お客様のお父様が長年にわたり趣味で本を集めておられましたが、全て片付けをして手放したいとのことで、当店での出張買取をご希望されました。お電話にてお話をお聞きすると、お知り合いから売買堂を紹介してもらったとのことで、うれしい限りでした。
お客様のお宅に到着すると、多量の書籍が目の前に広がっていました。ラックやアンティークな本棚には多数の書籍が並び、古いものや、ほとんど使用されていない新刊、さらには専門的な雑誌なども含まれていました。新旧問わず、数多くの美術書もございました。多くの書籍がほとんど使用されておらず、長らく保管されていた古書籍でも傷がほとんどなく、コレクションとして購入された物が多い印象でした。
そのため、本の良好なコンディションを査定に反映させることができました。 弊社が評価額をお伝えすると、お客様は即座に了承していただけました。また、値付けのできない古い辞書、事典や全集なども含まれていましたが、お客様のご希望により、同時にお引き取りいたしました。お客様は、お部屋が整理され片付いた事に加え、買取にも大満足してくださいました。売買堂としても、うれしい限りのお取引となりました。
そんな今回の出張買取の中から、ご紹介したい本は『井上有一 全書業(全三巻)』です。ウナックトウキョウより1996年に発行された、全三巻のカタログレゾネです。
このカタログ・レゾネは、井上有一の死後10年以上が経過した1998年に出版されました。
編集は海上雅臣が担当し、杉浦康平が装丁を手がけました。 井上有一は、書道家として実験的かつ独自の作品を世界中に発表し、今も高い評価を得て、人々を魅了しています。
井上有一は、1916年から1985年にかけて、アートとしての書を開拓した人物です。 東京都で生まれ、現在は東京学芸大学となっている青山師範学校を経て、東京市本所区横川尋常小学校で訓導として勤務していました。1942年には、上田桑鳩に師事しました。1950年には、「自我偈」で書家デビューを果たし、同時期には、多くの作家と「墨人会」を結成し、機関誌「墨人」を刊行しました。 1957年には、「愚徹」を現代美術の国際展覧会に出品し、有名なイギリスの美術評論家であるハーバート・リードに注目され、翌年には「近代絵画史」に掲載されました。さらに1971年には初の作品集「花の書帖」を刊行し、初の個展も開催しました。
井上有一は、職業芸術家としては生きず、生涯を小学校教師として過ごし、1976年に神奈川県寒川町立旭小学校の校長を最後に教師生活を終えました。 この点も、芸術家としては異質であり、興味深さを引き立ててくれる要素となっていると思われます。
墨を多く含ませた大きな筆を使い、身長ほどもある和紙に一字を描いた井上有一は、独自の生き生きとした表現で歴史的な書法とは異なる新たな境地を開拓しました。 彼の代表作には、「東京大空襲」シリーズがあり、1945年に東京大空襲で体験した経験から制作された作品は有名です。
「井上有一全書業」は、限定500部しか発行されず、各巻の定価は160000円という高額な書籍です。巻末にはシリアルナンバーが入っており、購入者のリストも付属されています。 この圧巻の書籍は、見応えがあり、多くの人々から高い人気を得ています。とりわけ、井上有一を知らなかった人々でも、この作品集を手に入れたいと思う方が多いため、中古市場では大変なプレミア付きの書籍となっています。興味を持たれた方は、一度、井上有一の芸術に触れてみてはいかがでしょうか。
売買堂では、専門書・骨董品の高価買取を積極的に行っています!
下記でお悩みの方々からもご依頼いただき、ご満足いただいております!
・遺品整理で、色々な芸術書や骨董品類もたくさんあって困っている。。。
・まとめて査定して高価買取してほしい。。。
・趣味で長年集めた物なので、価値が分かる方に引き取っていただきたい。。。
・チェーン店などのマニュアルによる二束三文の査定はして欲しくない。。。
古い書籍に関しては、専門的なニーズがあることもあります。私たちは、一般的な需要以外にも、学術研究やコレクションなど、幅広いニーズに応えるため、専門分野の査定や市場価格の調査などを日々行い、お客様に適切な価格を提示することができます。
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